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愛犬コロン闘病の記録【14】お見送り

愛犬コロン闘病の記録【14】お見送り

コロンの最期の瞬間に間に合わなかった私。

これは一生残る後悔です。

前回の記事はこちら▼

目次

どうすればよかったのか

選挙に行かなければ良かったのかなと、ずいぶん考えました。

でも、もし選挙に行かなかったらコロンの様子を時々見ながら家事などもやっていたと思います。

息子も娘もコロンの近くにはいましたがスマホを見たりしていました。

もしかしたら全員近くにいたのにコロンの変化にすぐに気づいたかどうかは分かりません。

気付いたら息をしていなかった…とかいう可能性も。

私と娘が出かけたので息子はその間に何かあったらいけないとじっとコロンのことを見ていたのでその変化に気付いて連絡をしてくれたのです。

その時の様子もしっかりと見ていてくれました。

都合のいい解釈かも知れませんが、どうすることが正解だったのかよく分かりません。

私と娘が帰宅してすぐにコロンを可愛がってくれていた親戚の叔父と叔母もやってきて一緒に悲しんでくれました。

お見送り

本当はもっとコロンと一緒に居たかったのですが、翌日は月曜日。

息子は昼間は仕事です。娘もバイトです。

私は夕方からパートです。

ギリギリの人数で働いているので休むと誰か代わりに出てもらわないといけません。

そういう状況を考えると、コロンをお空へ見送るのはもうその日のうちじゃないと全員立ち会うことが出来ないのです。

以前愛犬を見送った知人にどこに火葬をお願いしたかあらかじめ聞いていました。

そこがとても良かったということでしたので、電話をしてみたら今日の夜ならOKとのこと。

コロンの周りを花で飾り夕方車で出発しました。

知人の言う通りとても親身に丁寧にコロンを旅立たせていただきました。

お骨も本当に小さな骨まできれいに並べていただきました。

お骨は説明を聞いて砕骨してもらいました。

そのためとても小さな骨壺に入りました。(次の記事で紹介予定)

この状態ならいつでも自分で海岸などから海に返す(帰す?)ことも出来るとのこと。

いつか私と一緒にとかでもいいかも知れませんね。

不思議とこのお見送りの時には誰も泣いていませんでした。

待っている間も全員のスマホに入っているコロンを見せ合いながらどちらかと言うと笑って?思い出話をしていました。

娘はここに来る前に散々泣いていましたが、私は見送りの手配や花を買いに行くなど雑用に追われていました。

悲しくなるのはこの後でした。

このページの最後に花に囲まれて車で出発するコロンの写真を載せています。

苦手な方はここでページを閉じてください。

コロンはずっとお目々を閉じてくれませんでした。
ずっと私たちを見ていたかったのかな?

最愛のコロン
愛犬コロン闘病の記録【14】お見送り

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